| 山内 亮二

好奇心のかたち

きっかけは何だっただろう。宇宙に興味があったから。草木が紅く染まりはじめたから。ものごとの始まり、好奇心はどこからやってきくるのか。

父親の趣味で、実家にはいつも天文雑誌が積んであった。何となく中を見たことがあるが、どういった内容の雑誌だったのかは全く覚えていない。子ども頃のぼくは、天体観測や天体の写真に全くと言っていいほど興味がわかなかった。

物心ついたころには週末のテレビの映画番組が楽しみで、宇宙が舞台になるSF映画を好んで観るようになっていた。父親に連れられて初めて行った岐阜の柳ヶ瀬商店街にある映画館。そのとき観た映画はローランド・エメリッヒ監督の『インディペンデンスデイ』だった。独立記念日に宇宙人からの侵略に立ち向かうアメリカの人たち。ハリウッド映画の代名詞ともいえるエンターテイメント作品で、初めて映画館で映画を観る当時10歳の自分にとっては、衝撃的な体験だったことを今でもよく覚えている。

そう言えば、少し前に久しぶりローランド・エメリッヒ監督の名前を久しぶりに見かけた。最新作のタイトルは『ムーンフォール』。内容はともかく、変わらぬ彼のユーモアたっぷりの映画監督としての姿勢に敬意を表したい。実際のところ彼のような映画監督が、世界をハッピーにするんじゃないかとすら思えてくる。

少し話はそれてしまったが2019年11月20日、ぼくは海抜0メートル地帯に位置する愛知の自宅から長野へ、八ヶ岳の麓にある野辺山宇宙電波観測所へ向け、国道19号線を登っていった。動機が何だったか今となっては忘れてしまったけど、おそらく当時観ていた映画やドラマに感化されて、衝動的に車を走らせたのだと思う。映画やドラマに感化されて旅に出ることはよくあることだった。

このとき乗っていた車はノーマルのパジェロミニ。20年くらい前の車だ。この車は車体が重いせいで、高速に乗ったとしても100キロがなかなかでない。坂道となれば70キロくらいが限界で、オートマ車なのにも関わらず減速を感じはじめたら、手動でギアを落としてエンジンの限界まで加速しなければ、瞬く間に失速してしまう。これまでにアクセルをベタ踏みして何度オーバーヒートしたことか。運転しながら足が攣りそうになったのは、後にも先にもこの車以外にはない。自転車のような乗り心地の車だった。購入した当初は何でこんな車を買ってしまったのだろうと何度も何度も嘆いたが、不便なりにも撮影の旅には欠かせない存在となっていた。

もともと写真を撮りながらアジアの都市を周遊するようになってからは、メトロや高速道路を使った移動よりもローカル路線のバス、バスよりも徒歩といったように、ゆっくり地上を移動することを大切にしていた。それが地勢や風土を感じるのに一番良い方法だったから。だから道の起伏に大きくスピードが左右されるパジェロミニは、多少の不便はあるが撮影の旅には丁度良かった。

目的地に早く着くことよりも道中にこそ見たことのない世界が転がっている。そんな期待を胸に、この日も下道をアクセル全開で走った。幸運にも野辺山までの道のりは、11月下旬にも関わらず、秋色に染まった木々が迎えてくれた。この日の景観が忘れられなくて、毎年11月ごろになると八ヶ岳の麓までカラマツ林を見に行くのだが、未だ同じような景色には出会えていない。黄葉する前に葉が散っていたり、赤褐色だったり。大雨だったり。毎年やってくる秋をあたかも同じ秋だと思っていた自分が馬鹿らしくなるほど、毎回違う秋がやってくる。周期運動とはよく言ったもので、いっそ太陽系ごとどこかに移動しているんじゃないかとさえ思えてくる。

目的地の野辺山宇宙電波観測所には、45mの巨大な電波望遠鏡1基と10mのパラボナアンテナ6基、そして無数の太陽観測のアンテナ。まさに映画『コンタクト』で観たニューメキシコのカールジャンスキー超大型干渉電波望遠鏡群のようだった。お世辞でも賑わっているとは言い難かったが、静かな八ヶ岳の麓で巨大な遺跡群のように佇むアンテナたちは、人間の飽く無き好奇心の象徴としては十分するぎる存在感を醸し出していた。

かつては縄文文化が栄え、人と土地とが密接にずっと関係を持ち続けたこの場所で、人類の発展の基盤である天文学が今でも存在し続けている。ちなみにカールジャンスキー超大型干渉電波望遠鏡群があるニューメキシコ州も、一万年以上前からの石器文化が多く残る土地だという。学術的な根拠なんて何もないし、繋がりなんてないのかもしれない。でもこれほどまでに想像力を掻き立てくれる場所が他にあるだろうか。

しかし資本や目先の利益が重要視される現代日本においては、夢を追うだけの施設は存在することが難しいみたいだ。世界で初めてブラックホールの存在を証明したこの観測所も、財政難で閉鎖の危機に迫られているという。そう言えば映画『コンタクト』でも天文台の財政難な状況が多かれ少なかれ描かれていた。1986年に発行された原作では、地球外知的生命体探査としての天文台の稼働時間を一般的な研究に割り当てる状況が書かれているのだが、このとき一般的な研究で成果を上げている世界の天文台の例として挙げられてたのが、野辺山宇宙電波観測所だった。

それが今となっては、敷地内はある程度管理されてはいるものの、所々褐色に朽ちていくアンテナたちを眺めていると、気持ちの高揚とは裏腹に、時代の移り変わりを感じないわけにはいかない。天文台の歴史に、自分が生きてきた時代を重ね合わせるのは些か強引だとは思うが、奇しくも『コンタクト』の原作が発行された年は、ぼくが生まれた年でもあるのだ。

この世界は新陳代謝で成り立っている。理解しているようで理解できていない事実。客観的に世界を見ようと思っても、感情が邪魔をする。ぼくらは結局のところ、自分のタイムラインでしか物事を捉えれない。

この野辺山へ行ったときのことを、今でもふと鮮明に思い出す。よほど印象が強かったのか、この体験をきっかけに日本各地へ目的のない旅をするようになった。いや待てよ。鮮明にというのは勘違いで、もしかするとぼくの記憶は年々変わりながら良い思い出を美化し続けているだけなのかもしれない。そもそも自分の眼で見た記憶なのか、写真に残った映像なのかも、明確に区別できていない。

ただそれでも街の光が届かない山道で、辺りが静寂と暗闇に覆われる中、眩い光りを前方に発しながら、唸るようなエンジン音を響かせていたパジェロミニの振動が、今でも確かにここに残っている。足の裏から身体に、響いてくる。